松山・砥部方面旅行




 退職記念でもらった旅行券で、02年11月28日(木)〜30日(土)
の間、松山、砥部方面へ行ってきました。主目的は、砥部焼きを見に行っ
たんですが、道後温泉にノンビリ浸かり、秋山好古のお墓参りをし、松山
城、子規記念館なども見て回りました。
 海外もいいですが、国内もいいですね。皆様もいかがですか。





行きの飛行機の中から
撮りました。
2重ガラス越しだったので
やや、写りが悪いです。

艦船勤務の方は、
よく御存知の水道
松山城への
ロープウエイ


 
 
  天守閣


天守閣からの展望
(南)


天守閣からの展望
(西)


天守閣からの展望
(北)


天守閣からの展望
(東)


天守閣のすぐ下の部屋


   
   
  坊ちゃんからくり時計

道後商店街の入口にあ
り、軽快なメロディー
にのって小説「坊ちゃ
ん」の登場人物が現れ
ます。

 
道後温泉のアーケード

背中側に道後温泉本館
があります。
道後温泉本館

かの有名な「坊ちゃん湯」
国際観光ホテル葛城

泊まったホテルです。
待遇は、まあまあ。
道後温泉本館のすぐ側


 重要文化財 道後温泉本館
 我が国最古の温泉で、天下の名湯とたたえられ、およそ3,000年の歴史を持つとい
われる。神代の昔、足を痛めた白鷺が岩間に湧き出る湯で傷を癒したという”温泉開創”
の伝説がある。
 ”熱田津の石湯””伊予の湯桁”など歌にも詠まれ、古典にその名を留めており、伊予
風土記には少彦名命がこの湯に浸かって病気を治したとされている。
 景行天皇以来、5帝3后のご来浴をはじめ、古今の著名な文人墨客・知名の人々が遊訪
しており、夏目漱石が小説「坊ちゃん」の中でこの温泉を描いてから、一躍有名になった。
 伝説の白鷺を屋上に飾った本館は、明治27年に建造された城郭式の建築物で、三層楼
の構えが伝統の風格を誇っている。霊の湯と皇室専用浴室の又新殿が建築されたのは、5
年後の明治32年(1899)のこと。全国でここだけという皇室のお召湯の又新殿は、ひと
きわ贅を尽くした造りで、一見の価値がある。
 一階は大国主命・少彦名の像と山部赤人の和歌を刻んだ湯釜がすわっている大衆浴場・
”神の湯”。二階は温泉客のための大広間になっており、湯玉模様の浴衣姿で飲む湯上が
りのお茶が香ばしい。三階は”霊の湯”で、家族向けの休憩室があり、その奥に漱石ゆか
りの”坊っちゃんの間”がある。
 その上には、振鷺閣と呼ばれる赤いギヤマンを張り巡らせた太鼓楼が、朝に夕に時を告
げる刻太鼓で温泉情緒を漂わせている。
 神経痛、神経衰弱、婦人病、ヒステリーなどに効能があり、お年寄りはもちろん最近で
は若い人の間でも人気があり、湯冷めしにくいと評判である。


大街道のアーケード

松山一番の繁華街で、約600m
の通りは、日本で初の開閉式
ドーム型となっています。


 
陶芸館

ここから二日目、砥部町へ
レンタカーで行って来ました。


砥部焼きです。


このお皿「40万円」ですよ〜


こちらは、35万円


これは、20万円


これが2〜3千円位の
一般的なものです。


  砥部焼観光センター


砥部焼伝統産業会館


砥部焼伝統産業会館には
歴史的に価値のあるもの
や砥部町にある約90の
ほとんどの窯元の作品が
展示されています。
これも、20万円でした。


道しるべですよ〜〜。


陶祖ヶ丘へ行く途中にある
砥部焼の陶片によるアート


  陶祖ヶ丘

砥部焼の発展に尽力した陶祖
杉野丈助の碑と、江戸時代か
ら近代までの砥部焼の陶片が
時代ごとに埋め込まれた陶壁
碑があります。


この方も砥部焼の発展に尽力
された人ですが、名前を忘れ
ました。


陶祖ヶ丘の下にあった銀杏


砥部町陶芸創作館

砥部焼にチャレンジ!
絵付けだけなら40分ほどで
体験出来ます。


蔵元酒造資料展示

酒造の蔵元でこの蔵の一部を
展示館として解放し昔ながら
の酒造りの道具や資料を見学
することが出来ます。
きよし窯

道後温泉旅行を計画した、一
番の目的の場所です。ここで
砥部焼の雛人形を買いたかっ
たんで、やってきました。東
京でも買えるんですが、高い
んです。ここでは、定価が2
〜3千円安く、さらに、3割
引で買えました。また、素敵
な洗面器を造ってもらうこと
にしました。ちょっと高い。


お雛様(段飾り)

これが、買いたかった雛人形
です。


梅野精陶所
(梅山窯)

町内で一番大きい窯元で、登
り窯や古い砥部焼の保存展示
をしています。工場見学もで
きます。


登り窯の内部です。


登り窯


← 10万円ですよ。
でも、素敵でした。
 


 伝統的工芸品 砥 部 焼
 砥部焼の焼物は、三百余年前よりくらしの実用陶器として焼き始められ、安永四年
(一七七五年)大洲藩主・加藤泰候はこの地方に埋蔵する砥石の原料を活かして、陶
器の製法を研究するよう命じ、安永六年、杉野丈助は苦心の末、これに成功して今日
の砥部焼をみるようになりました。
 近年、柳宗悦、浜田庄司、藤本能道、鈴木繁男先生の御指導を受け、工芸品の製作
に力を入れてまいりました。現在、砥部焼は、国の伝統的工芸品に指定され、その良
さを広く認められています。

 砥部焼の  乳の色なす花瓶に
    梅と椿と  ともに活けたり
               子 規


衝上断層公園

数千万年前の地殻変動によっ
て古い地層が新しい地層の上
に重なった逆断層です。砥部
川にあり地質学上の貴重な資
料として国の天然記念物に指
定されています。


  中央下部のちょっと凹んだ茶
色の土の部分が、左の写真の
茶色の部分だそうです。たま
たま近くにおられた地元の人
に話を聞くことが出来ました
また、芸予地震のときには、
4tトラックが30cmほど
上下に飛び跳ねたそうです。


← 上の写真の上流側です



帰ってきて、道後商店街入
り口にいた、坊ちゃん列車
昼間はお客を乗せて走って
います。昼間に写真撮れな
かったので残念です。
秋山好古陸軍大将のお墓

道後温泉本館の少し山手の
ところにあります。


宝厳寺

一遍上人生誕の地


立像は見ることが出来ません
でした。


  伊佐爾波神社

桃山建築の様式が随所に見ら
れる朱塗りの豪華な建物は必
見。国の重要文化財。中では
結婚式があってました。


 
← 帰りの飛行機の中から
撮った日没

 



 26年ぶりに、大街道にお住まいの元第11海上訓練指導隊司令の宮崎さん宅にお邪
魔した。80歳とは思えない色艶で、御元気で、昔話に花が咲いた。
 宮崎さん宅から数軒先に、秋山好古陸軍大将、真之海軍大将兄弟の生家跡碑が建って
おり、兄弟の略伝が記してある。写真に撮ってこようと思っていたが、雨が降り出した
ので、残念ながら、写真は撮れなかった。宮崎さんは、大街道に「坂の上の雲」の記念
館を造る役員だそうで、程なく建築にかかるそうである。秋山兄弟の銅像が、松山港の
近くの梅津寺パーク駐車場そばの丘に立っているが、ここも見ずじまいであった。
 その他にも、正岡子規の記念館などもあり、見て回ることに飽きないところである。
皆さんもいかがですか。